本日は、所属する日本生活科・総合的学習教育学会の相模原地区大会でした。

私は、普段情報部としてハイブリッドでの研究会開催のために情報機材管理を主に行っていますが、本日は日頃に比べると業務はかなり少なめでした。
しかしながら、会場地区のため、学びを中心にというよりも滞りなく会が進行されることを念頭に置きながら過ごした1日でした。
実践については、自分のものではないのでこちらでの公開は避けておきますが、以前行った「水族館プロジェクト」の実践は機会を見て公開できればと思います。

各分科会での実践報告のあとは、白梅学園大学大学院 名誉教授 無藤 隆 先生をお招きしての講演を聴講してきました。

テーマは「生活科・総合的な学習の時間の未来に向けて」ということでした。
無藤先生のお話の中で、一番印象に残った言葉は、

体験することを探究し、言葉として捉え直す。

という言葉でした。

生活科の学習では、幼保との連携を始め「環境」を学ぶ必要性があると感じています。
円の中には、材が常に近い場所に溢れており、すぐにでも体験(経験)できる場が整っています。
生活科では、身近な学校・地域・家庭等の環境の中に入っていき、そこで出会い体験していくことの中で探究のサイクルが回っていくというお話もありました。

総合的な学習の時間では、もっと広い世の中・世界の問題を比較的身近な「地域」のあり方を通して考えることで、子ども達の体験(経験)の場をもち、探究的な学習を行っていくとありました。

どちらも「現実」のあり方に関わり、気付き、考え、工夫していく中で、そのあり方の複雑で多層的な様子の理解を深めます。
そこで、問題を取り出し、解決を志向していき、解決自体を求めるのではなく、「追究」していく過程が学習の中では大切であると教わりました。

低学年では、特に「遊び」にfocusして授業構成を行いますが、自分の中での「遊び」の捉え方の甘さに気づかせていただきました。

「遊び」とは、本来思うがままにやってみることであり、そこから少し先にやってみたいことが生まれ、実現を図ろうとすること。


自分の中での捉えとしても重なるところはありましたが、このような言語化はできていませんでした。非常に自分の大切にしていたことがClearになったと共に言語化できた瞬間だったように感じます。

「遊び」に関しては、

①環境に広げていく。
②関わりを深めていく。
③他の活動と繋げていく。
④活動を発展していく。
⑤活動の終わりの先を見通す。
⑥皆に広げる。
⑦学びとして確認する。
(また繰り返し)

総合的な学習の時間の探究のサイクルを更に細分化したような形になっており、「遊び」や体験(経験)を中心とした学習の中で意識していくことで学習としての深まりが出るように感じました。

生活にしても総合にしても探究的な学習を行っていくわけですが、講演の中での一つのキーワードが「追究活動」でした。

探究は直線的に進むものではないからこそ、サイクルで表されることも多く、その活動・過程の中で「もしかしたら」という試しがなされ、構想がされる。
その過程の中で起こる幾つもの「失敗」こそが探究のプロセスの意義であり、「失敗」ではなく、問題の現実的な複雑さを知ることである。


先ほど申した「実現をはかろうとする」という部分とも重なりますが、生活や総合を行う中で、解決に向けて走っていくにしてもわかりやすい状態にして理解等をするのではなく、「追究」していくなかで、世界の複雑さのもつ多種多様な謎への出会いがあり、その面白さを複雑なままでわかっていくこともまた学習として大切なことであるのかなと感じました。
わかりやすさを安易に求めるのではなく、材に何度も繰り返して関わり、壁にぶつかり、失敗し、考えていく中で、その複雑さが自然と理解できるようになる。

体験を繰り返すからこそ、それが言葉としての表現に繋がると学ぶことができました。

また、生活・総合への熱が更に燃えてきました。
本日も良い学びができて満足です。

毎月研究会を行っておりますので、
ぜひ興味のある方会場・オンラインでお待ちしています。