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○○という考えが出てこなかった
○○という考えが出てきてほしかった
というセリフを研究協議会でよく聴きます。
ぼくも20代のときはよく言っていました。
でも、いつも思うことは
先生方、運ゲーに頼りすぎてない?
ということ。
「好きなフルーツなんですか?」
という問題に対して、
「ドラゴンフルーツ」という答えを待っているみたいな構図ですよ。
その考えを出すには、仕掛けや伏線や手立てが必要なはず。
考えを出すためにはそこに紐づく考え方ががあるはず
しかも、
その仕掛けや伏線や手立てが学習者によるものであれば最高
ということですよね。
考え方が言語化された、学習者による手立てとなりえるのが、カード実践
そろそろ運ゲーの授業から脱却しませんか?