― 評価の本質と教育現場のリアルを見つめて ―
「通知表を廃止すれば、子どもたちはもっと自由に学べるのではないか」
「評価に縛られない教育を実現すべきだ」
近年、教育現場や保護者の間で、通知表の廃止を求める声が高まっています。
岐阜県の美濃市で2年生までの通知表を廃止をするというニュースが出ました。
たしかに、評価が子どもたちの学びを制限し、教師の負担を増やしている側面は否めません。しかし、通知表を単純に廃止することが、すべての問題を解決するわけではありません。
今回は、通知表の役割や評価の本質、そして教育現場の実情を踏まえながら、「通知表廃止」の議論を多角的に考察してみたいと思います。
通知表の役割とは何か?
通知表は、子どもたちの学習状況や生活態度を保護者に伝える手段として、長年にわたり活用されてきました。評価を通じて、子どもたちの成長や課題を明確にし、次の学びへの指針とすることが目的です。
しかし、評価が数値や記号に偏りすぎると、子どもたちの多様な能力や努力が見えにくくなり、学びの意欲を削ぐ原因となることもあります。
通知表廃止のメリットとデメリット
メリット
• 子どもたちの主体的な学びを促進する
• 教師の評価業務の負担軽減
• 多様な評価方法の導入が可能になる
デメリット
• 保護者への情報提供の手段が減少する
• 教育委員会や進学先への成績証明が困難になる
• 教師間での評価基準の共有が難しくなる
評価の本質を見つめ直す
通知表の廃止を議論する際、評価の本質について考える必要があります。評価は、子どもたちの学びを支援し、成長を促すための手段であり、目的ではありません。
形式にとらわれず、子どもたちの多様な学びや成長を適切に捉える評価のあり方を構築することが求められています。
保護者との連携の重要性
通知表を廃止する場合、保護者との連携が一層重要になります。日々の学習の様子や成長を共有するために、面談やポートフォリオ、学習発表会など、多様なコミュニケーション手段を活用することが必要です。
教育現場の実情を踏まえた議論を
通知表の廃止は、教育現場の実情や地域の特性を踏まえた上で、慎重に検討する必要があります。教師の負担軽減や子どもたちの学びの質の向上を目指すためには、評価の在り方を見直し、多様な実践を共有し合うことが重要です。
ここで一点、考えておきたい視点があります。
「通知表をやめれば、働き方改革になる」は本当か?
通知表廃止の議論には、「教師の業務を減らすべき」という文脈が重ねられることがあります。
しかし、もし通知表をなくすことが単なる“働き方改革の一環”として語られているのだとすれば、それには違和感があります。
なぜなら、評価とは子ども一人ひとりの学びを支え、成長を促すための営みであり、効率化や業務削減の対象とは本質的に異なるからです。
むしろ、通知表という形式を手放したとき、教師に求められるのは、より丁寧なまなざしと、子どもに響く言葉で成長を伝える力です。
つまり、評価の中身においては「時間がかかる」「手がかかる」方向に進む可能性すらあるのです。
通知表をなくすことは、「楽になる」ことではありません。
それは、「より本質的な評価を、どう言葉にし、どう保護者や子どもに届けるか」を突きつける行為でもあるのです。
おわりに:通知表はなくてもいい。でも「評価」は必要だ
通知表の廃止は、学びをより自由に、より個別に広げていく上で、有効な一手かもしれません。
けれど、通知表をなくせばすべてうまくいくという単純な話ではありません。
むしろ、
通知表という“形式的な枠”を手放すならば、それ以上に「子どもの学びや成長を言葉にする力」が求められる
のです。
なぜなら――
評価は、子どもを選別するためのものではなく、子どもを支えるためのものだから。
たとえ通知表がなくなっても、子どもたちは迷います。悩みます。
「自分はできているのか」
「どこが成長したのか」
「次は何をがんばればいいのか」
そうした問いに、教師や保護者がどう応えていけるか。
通知表がないなら、なおさら質の高い対話とフィードバックが必要になるということです。
それは決して簡単なことではありません。
だからこそ、評価のあり方を議論するこのタイミングで、私たちが本当に問うべきなのは、
「どのような言葉で、子どもたちの成長を支えていけるか?」
という問いではないでしょうか。
形式を手放すのなら、中身を、言葉を、まなざしを――もっと丁寧に。
これからの評価は、「通知表の有無」ではなく、「子どもの成長にどう寄り添うか」という実践の質そのものにかかっています。