― 「完成形」と「現在地」を見誤らないために ―
4月。春の匂いとともに、新しい子供たちとの出会いがやってくる。期待と緊張が入り混じるこの季節、教師として最も大事な時間のひとつだ。
だが、ふとした瞬間に思うことがある。「あれ、こんな感じだったっけ?」
昨年度6年生を担任していた先生が、今年度も6年生を受け持つことになったとする。昨年度の終わりには、子供たちは学校のリーダーとしての風格を漂わせ、下級生へのまなざしも温かく、教室の中では自分たちでトラブルを処理できるほどの安定感があった。
ところが、4月に出会った新たな6年生たちは、どこか頼りなく、落ち着きもなく、「え、本当に6年生?」と思ってしまう。これは6年生だけに限らない。2年生を受け持てば、「あれ、去年の2年生はもっと落ち着いてた気が…」と思い、3年生に行けば「もう少しできると思っていたのに」と首をかしげてしまう。
この「子供像のギャップ」に戸惑い、悩む先生は少なくない。
「学年の完成形」が私たちの目に焼きついている
なぜこのようなギャップが生じるのか。それは私たちが「その学年の完成形」を無意識のうちに基準としてしまっているからだ。
1年間かけて、先生と子供たちは信頼関係を築き、生活や学習のリズムを整え、さまざまな課題を乗り越えてきた。そして迎えた3月、そこには確かな「成長の証」がある。卒業式や学年のまとめの会など、子供たちの立派な姿が心に深く刻まれる。
この「完成形の記憶」は、教師としての誇りでもある。しかし、そのままの期待を新年度に引きずってしまうと、目の前の子供たちに違和感を覚えてしまう。
けれど、今の6年生は、まだ「6年生1ヶ月目」なのだ。ベースになっているのは、ついこの前までの「5年生12ヶ月目」。同様に、今の2年生は1年生から進級してたった1ヶ月。3年生は2年生の延長線上にいる。
つまり、私たちは「学年の完成形」ではなく、「今ここにいる子供たちの現在地」を見なければならない。
昨年度の同時期と比べてみる
たとえば今の2年生の子たちを、昨年度の2年生と比べて「あれ、落ち着きがない」と感じてしまったとする。しかしそれは、昨年度の2年生の“完成形”と比べているからだ。
では視点を変えてみよう。今の2年生が1年生だった、ちょうど1年前の姿を思い出してみる。文字もなかなか書けず、話を聞く力も発展途上、泣いたり怒ったりと感情も不安定だったかもしれない。そんな子たちが、今は落ち着いて椅子に座り、ノートを取り、先生の話に耳を傾けようとしている。…どうだろう。「ちゃんと成長している」と思えてこないだろうか。
子供たちは“学年”で成長するのではない。一人ひとりの中で、日々少しずつ変化していく。私たち教師にできるのは、その変化の「軌跡」を見ることだ。
「今」の姿を土台に、これからを描こう
もちろん、教師として「6年生としての姿を育てたい」「2年生にはこの力を育てたい」という願いは大切だ。それはゴールとして持ち続けていてよい。
しかし、そのゴールを押しつけてしまっては、今の子供たちは苦しくなる。大人である私たちが先に焦ってしまい、「去年はできたのに」「他のクラスではできている」といった比較の言葉を使い始めてしまえば、子供たちは自信を失い、やる気をなくしてしまうかもしれない。
だからこそ、最初の一歩は「今」の姿を土台に置くこと。去年の4月、子供たちはどんな状態だったか。そこから今、どこまで育っているか。どうすればあと1ヶ月、あと1学期で成長できそうか。教師の目線が少し変わるだけで、子供たちの見え方も、関わり方も大きく変わってくる。
教師の焦りをどう整えるか
では、そんな子供たちの“未完成さ”に向き合うとき、教師自身の心はどう整えていけばいいのだろうか。
まず大切なのは、「成長には時間がかかる」というあたりまえを、あらためて自分に言い聞かせることだ。これは子供に向ける言葉であると同時に、自分自身にも向けたい言葉だ。
また、子供たちの“できていること”に目を向ける習慣も大事だ。「この子たち、まだうるさいな」と思ったら、「でも去年の今ごろは、席に座るのも大変だったな」「それに比べれば、ちゃんと座って話を聞こうとしている」と事実に目を向ける。
周りの先生と子供の成長を共有するのもおすすめだ。「○○さんのクラスの子、最近こんな姿が見られました」と声をかけてもらえるだけで、自分が見落としていた成長に気づけることもある。
子供像に悩むのは、いい教師の証
最後に、ひとつだけお伝えしたいことがある。
子供像のギャップに悩むというのは、あなたが真剣に子供たちと向き合っている証だ。「もっとこうなってほしい」「良い方向に導きたい」と思っているからこそ、理想とのズレに戸惑う。
でも、私たちは「完成された子供」ではなく、「これから育っていく子供」を見ている。そのプロセスに関わることこそが、教育の醍醐味だ。
焦らずに、でも諦めずに、今日の子供の姿を見つめるところから始めよう。1年後には、またあの「成長の証」に立ち会える。教師の仕事は、その“軌跡”の伴走者であるということを、どうか忘れないでいてほしい。