第1部
授業論
まず"正解"依存を覆滅せよ

を読んでいきます。

誤答をただ切り捨てるのは正しい教育的態度ではないという考えかたは、たしかに重要だということができよう。しかしそのことが、誤りを手がかりとして正答へ導くためということであるならば、ごく平凡といわなければならないと思う。親身になってわからせようとするならば、だれでも相手がなぜまちがったかを究明してその対策を講じようとするのはあたりまえである。小学生だとて誤りの原因を調べようとすることくらいは当然する。


正解とはなにか。誤答とはなにか。
教科書に定められた所謂「答え」も一面を見たものにすぎない。ただ、教室という空間で同調圧力の中だとそれが覆しにくくなる。というのは担任をしていて感じたことがあります。

正解とはその人間の理解の発展のよき筋道の上にあるものをいうのである。だから当然子どもによって違う。誤答とはその筋道からはずれたものをさしているのである。しかし念のためいうが、このようなことばの用法は、通常の使いかたとは全然異なっている。


正答をどう定義し、誤答をどう取り扱うのか。
「今はまだ間違わせておく」
これが教育の奥義なのではないかと上田先生は仰っています。

間違えた先に何を見るのか、学力ではなく資質•能力であること。それを教師がどこまで理解し、計画し、"正解"を手放せるのかなのでしょうか🐘

次回は
何を個性的というか
を読んでいきます🐘