「タブレット端末に集中して、教室がシーンとなるときがあります。」
そんな話を最近聞くようになりました。
おそらく「シーン」とすることがいけないこと、もっと子どもたち同士で話し合いながら取り組んでほしいという認識があるように思います。
気持ちはよくわかります。
樋口学級でもシーンとなることがあり、ドキドキすることがあります。
教室がシーンとなること、良いのではないでしょうか。
子どもたちの集中している姿があるのではないでしょうか。
タブレット端末を用いて検索をしたり、資料を分類・整理したり、表現物を作成したり・・・。
私もこの原稿を書いているとき、誰とも話すことなく、黙々と書いています。
ただ、自分と対話をしたり、過去の子どもたちの様子を思い出したりと、自己内の対話は行っています。そして、
子どもたちにとって話し合う必要感がないの
です。実際にシーン
子どもたちがシーンとなって作業をしているとき、
教師は歩き回り、子どもたちの作業をしている様子を把握したり
それに対してアドバイスをしたり、
一緒に子どもと取り組んだりしたり
しないといけません

教師はずっとタブレット端末をみていたり、黒板前で座ったりしている場合ではありません
そして、
作業をして終わりではなく、考えを交流したり、深めていったりする活動を仕組んでいく必要
があります。こういった仕組むということはタブレット端末はしてくれませせん。教師が仕組んでいく必要があります。